尾籠な話で恐縮ですが。
いくら著名な大学教授や経営コンサルタントであるからといって、文章がうまいとは限らない。文章の技術は別の話である。
大学教授で特殊な学問をしている人物の話を聞いたことがある。一人は、湯たんぽの研究といって日本各地の湯たんぽの研究をしている。湯たんぽの研究では紛れもない第一人者であるこの教授は、話という部分に長けているわけではないから、インタビューをする際のヒアリング能力と、ヒアリングをした内容を表現する能力が高い人物がいてこそこの湯たんぽ教授の凄さが明らかになるというわけだ。事実、やっと会うことができいた者がいたが、当初教授は特に何も語るわけではなく、その場を去った。
また、「歯」という漢字の成り立ちについて研究している者がいるという。古代からの文献に登場する「歯」について、ことごとく調べた上で、それらのヒストリーについて体系化する。この研究の何が、世の中に必要かなんている由もないし、必要ではないと断言するのも言い過ぎなのかもしれない。何故か?「歯」の研究をしている人物についてそれ以外のことを少しも知らないからだ。「歯」の研究以外の部分でとても家族やその周辺の人物のために動いているかもしれない。また、そうではなくとも、この「歯」の研究について知ることで、それ以外の何かが生み出されていることもある。
事実この文章自体がそうである。現在は、インターネットが発達する前に比べて圧倒的に個人発言の波及の影響力が変わっている。どんな文章が、どんな言葉が誰のどのような思考に入って、世の中を良くも悪くも変えるかわかることができない。それは、世の中の複雑さをさらに増している。
大隈重信により、日本に太陽暦が採用されることが決まったとき、太陽歴の制定を知らせるのに1年以上もかかったという。先ずは、太陽暦というモノについて一般の人々が知らなかった。そこで、福沢諭吉がそれに対する解説書を書き、それが売れたことによって慶應義塾が再生した歴史がある。
個人の発言の波及は非線形理論ともされる分野によるとさらなる、複雑さを招く。非線形理論の中では、バタフライ効果という言葉に示されるように、アマゾンの蝶が羽を一回羽ばたかせたことがニューヨークに嵐を起こす可能性があるという。
一つの言葉の影響が発信した人の手を離れてどこまでも広がっていくことが、今実現している。それは、善についても、悪についてもである。だから、昔よりも言葉の影響はでかくなっているのかもしれない。かもしれない。という可能性は、場合によってはもはや「生きる」希望につながっている。
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